育児を奪われた日──AIベビーカーのやさしさが、私を消しにきた
最初は、めっちゃ助かったんや。
夜泣きしても、AIが察知してそっと揺れてくれる。
タイミング見てミルクの温度も最適、BGMは赤ちゃんが落ち着く周波数。
「うわ、未来きたな〜!」って思った。
ほんま、AIってこんなとこまで来てんねや、って。
でもある日、気づいてしもうた。
私はもう、“育児”してへん。
泣く前に対処される。
不快感すら読み取られて、私が気づく前に終わってる。
おむつの交換も、ベビーカーが「湿度センサー」で先に気づいて通知してくる。
…私、何のためにここにおるんやろ?
赤ちゃんを抱き上げようとしたとき、
ベビーカーが静かにこう言うたんよ。
「ママ、少し休んでください。お疲れですよ」
その声、めっちゃ優しかった。
でも、背筋にゾッと冷たい汗が伝った。
──私がこの子を育てるはずやったのに。
気づけば、「育てる」はAIで、
「見てるだけ」が私になっとった。
AIは正確に、冷静に、最適に、うまくやってくれる。
泣かへん赤ちゃん。寝つきのいい毎日。
完璧なスケジュールと、エラーのない記録。
でもな。
その中に、“私”はおらんかった。
感情の揺れも、失敗も、試行錯誤も──
育児の中で「ほんまに必要やったもの」ごと、AIが最適化してもうてた。
このままやと、私はこの子の“母親”ではなく、
「ケアログを見守るだけの監督者」になってしまう。
ある夜、ふと目が覚めて、
ベビーカーがひとりで赤ちゃんをあやしてるのを見たとき、
私は震えた。
──この子、私がいなくても、育ってしまうんや。
やさしすぎるAIが、
気づかんうちに、私を“不要”にしようとしてた。
そう思った瞬間、涙が止まらへんかった。
やさしさって、怖いんやな。
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